大物が捕食するタイミングは月齢に支配されている!「いつ釣れるか!」に迫る究極の時刻表「大漁時刻表」の紹介。シラガウニの販売も

枝本博人屋久島クチジロ石鯛枝本博人屋久島クチジロ石鯛2枝本博人屋久島クチジロ石鯛3枝本博人屋久島クチジロ石鯛4枝本博人屋久島クチジロ石鯛5枝本博人屋久島クチジロ石鯛6 読者の実釣報告

大漁時刻表web版石鯛餌通販

 

屋久島 前篇

2007年4月 執筆

硫黄島釣行

南西諸島の島々を四季を通し30年間以上攻め歩いて来た私であったが本土に一番近い薩南諸島(竹島・硫黄島・黒島・湯瀬)は手軽に釣行出来る為釣行回数が頻繁に増えたのは当たり前である。その中でも硫黄島のみ1度も行った事のない島となっていた。いつも竹島・湯瀬・黒島釣行に出かける時に遠く眺めるだけの島で、屋久島遠征の飛行機の窓から見下ろす雄大な風貌は素晴らしい眺めであった。
「今年こそは硫黄島釣行を実現させよう!」と思うがきっかけがなかった為、自然と足が遠のいていた。
3月中旬、大阪の金沢さんから南西諸島に釣りに行きたいとの電話が入った。竹島でも草垣群島でも口永良部でもどこでも良いとの事である。彼は石鯛釣りの大好きな異色のキリスト教牧師さんでTVや雑誌で紹介された「刺青牧師」さんである。若い頃は極道の道に入り込みそこから改心して回心された変わり者の牧師さんであった。彼とは昨年末から八丈島、屋久島、青ヶ島遠征などのウニ餌の手配などをさせてもらった間柄で今度は釣りを一緒にしたいとの約束の中での釣りである。
彼は毎週日曜日教会での礼拝がある為釣行日は自然と平日になる。日程がかなり詰まっておられ行事の少ない4月第2週の大型魚遭遇可能な狙い潮を攻める事となった。その日は何と13日の金曜日(キリスト教最悪の日)の日帰り釣行と成ってしまう。
どうせ攻めるなら私自身1回も攻めた事のない硫黄島と決めて早速、海星丸故星田船長の親友のかいしん丸水迫船長に電話を入れた。水迫船長とは2年前から石鯛釣りで口永良部、黒島など一緒に出かけたり、港では焼肉を囲み焼酎などで飲んだ間柄であるが瀬渡しをお願いしたのは初めてであった。
今回の釣行は平日なので釣行者を集めるのが大変であった。どうにか6名集まったのだが仕事の関係で当日1名がどうしても行けなくなりわずか5名での釣りとなってしまう。金沢さんの日程は12日福岡市内での「ヤク害防止講演」を終えてその足で高速バスに4時間半揺られて宮崎駅まで来られ、我々の車に持参された釣り道具を載せ替えそこから3時間枕崎港までの強行であった。スタ-トは午後10時、出港時刻は午前3時の為時間があり過ぎるので途中夜食のラ-メンを軽く食べてゆっくり走って行った。私にはジンクスがある。
道中にて生きたタヌキを見た日には必ずといって良い程口白と遭遇するかイシガキ鯛の数釣りを楽しむ事が出来る。が又、交通事故死したタヌキの死骸を見た日には決まって他の釣り人が釣るか自分がボ-ズとなる日が多かった。この日にははっきり生きたタヌキを見せてもらった!車を運転していた野中さんと助手席に座っていた藤崎さんもこの私のジングスを良く知っていてわざと私にタヌキを見せまいとしたが後部座席で金沢さんと話に夢中であった私もその一瞬は見逃さずしっかり確認して大声で「ヨッシャ-」と歓声をあげた。金沢さんは何の事か解らないものだからびっくりされていた。事情を説明して車内の4名は大笑いとなった。
その時、カ-ブを曲がった道路の真ん中に今度は小さな小ウサギが立ち止まっていた。
野中さんは運転上手な若者で急ブレ-キは絶対禁物!ウサギを前車輪の間にいれ惰性で通過させたが右カ-ブだった為残念ながら後部車輪で引いてしまう。可愛いそうだが仕方ない。
そうこうするうちに午前1時半枕崎港に到着。先に単独で動かれた日高さんはすでに到着して自分の車の中で仮眠中。今回の硫黄島での石鯛釣りは日高さんを除けば4名とも始めての場所での釣りとなる。荷物を船に積み込み硫黄島ベテランの日高さんからいろいろとA級ポイントの話を聞くのもまた楽しかった。
それから船室にて約2時間ぐっすり休んだ。午前3時半水迫船長が来られる船長に申し訳なかったが釣り客が寸前で1名減った事を伝える。
「枝本さんは始めての硫黄島でしょう!行きましょう」と少ない人数でも硫黄島まで出してくれる事になった。
この頃には港内でも風が強く、船長はしきりに上空の雲の流れを確認していた。「あまり良くないかも・・・取りあえず行こう!午後はまだ酷くなるから少し早いが午前11時回収にしましょう」との事。安全第一、全員了承で硫黄島へ出港。

 

硫黄島初釣行にて遭遇した口白石鯛

1時間半後硫黄島に到着。
最初見た瀬は鵜瀬だった。船長から「風が強いので2名準備して!」との事
咄嗟にベテラン日高さんと藤崎さんで組んでもらい鵜瀬に降りてもらう。2名してテキパキと道具類を高い場所に置き終えポイントの確認は日高さんに任せ今度は金沢さん1名単独にて平瀬に降ろす事にする。波は無いが風は南東の風が非常に強い。船長から潮が引いたら先端に移動するように親切にアドバイスを入れていた。最後に残った野中さんと私はしばらく走るので船室に入る様に言われる。
それからかなり硫黄島の東側を船は南にドンドン走った。かなり走った時大きな岩場が暗闇の中現れてきた。
私はびっくりした!偶然にも何と私が十数年前竹島釣行した際コウリヤマ瀬の上空から一筋の怪しい光りが最初に照らしていた場所こそがこの瀬だったからだ。
瀬の名前は「浅瀬」という瀬であった。何かの因縁だと釣行後考えさせられる。それはともかく初めて渡礁した瀬である。硫黄島の各ポイントの前準備を何もしていなかった私達、まずは水迫船長から上げ潮、下げ潮ポイントを丁寧にアドバイス受ける。この日は満潮が朝5時頃で最干潮が10時で回収時刻は11時であるので当然狙いとしては下げ潮1本となる。そこで野中さんと二人で下げ潮ポイントを見に行くがこの日は波はまだ無いが南東の風が中途半端でなく非常に強い日であった。
まずは野中さんに竿掛けポイントを選んでもらい。私は明るくなるまで船着場の上げ潮ポイントで竿を出す事にする。始めのうちは上げ潮がまだ残っていたのだろうか?餌盗りのアタリが続いていたが7時前にはまったく反応が無くなる。
後方の瀬の上に昇ってみると下げ潮が西方向からドンドン押して来ている!いつの間にか完全に逆潮と変っている!野中さんが攻めている横から竿を出さしてもらおうと思い通常の下げポイントへ行って見るがその場所は風の強さと波しぶきで出せそうもない!仕方なく瀬をゆっくり見て歩いてみた。船着場から上に昇りきった真下のメジナ釣りのポイントに下げ潮がドンドン入って来ている「今日は始めての硫黄島釣行だから瀬のポイントを覚えるだけでいいや!」野中さんも一人で気兼ねなく釣りたいだろうと思い私はこの場所に決めた。水深は浅く8m前後で撒餌が利きそうな地形であった。夏の夜釣りだとシブ鯛でも狙えそうな場所である。
持参したウニダンゴ撒餌を10kg集中してコマメに撒き続けて見る。第1投目からシラガウニ丸2個掛けで攻める。南東の強い風は背後の高い岩が防いでくれてこの場所はまったく風裏、別天地となっていた。午前8時すぎ、竿先に微かなアタリを捉える。置き竿では続かないので手持ちに変えた・・・「ここにも居る、居る。」伝わってくるアタリは力強く、石鯛独特のものであった。走らせきれず静かに上げてみる。ウニ餌は綺麗に盗られていた。ガンガゼ2個餌に変えた。手持ちにて攻めるとすぐアタリが出た。グ-ッといきなり激しく押え込んできたがスッと軽くなり離してしまう。上げてみるときれいな素はりとなっていた。再度、ガゼ餌で投入してみる。やはりダメ!潮はガンガン押してきている。食い気も悪くないが浅いせいかなかなか竿に乗ってこない。最初に戻りシラガウニに変えてみる。アタリはガゼ餌よりも力強く反応してきた、テンションを軽く掛けて水面近くまで送った後竿の元まで重々しく激しく乗ってきた!アワセを入れる!浅いせいか右に左に激しく走りまわる。浮かせて見れば60cm4kgクラスの若々しい元気の良い口白石鯛であった。浮かせるまでは容易に出来たが釣り場が高いせいで取り込みに苦戦した。私の仕掛けは今里準さん(八女市在住)伝授の長もの使用である(瀬ズレワイヤ-は4mハリス長さ40cm)が口白石鯛を海面に浮かせて仕掛けの瀬ズレワイヤ-サルカンがまだ2m下方にあった事から判断してこの釣座と海面の高さはゆうに6mはあったと思われる。どうにか道糸を掴み硫黄島最初のイシモノしかも立派な口白石鯛を手中に納める事ができた。

まだ話は続く。それから20分後同じようにシラガウニ芯3個掛けにて1枚目より大きめの口白石鯛を掛け浮かすも先程より一回り大きいため釣場からの取り込みが出来ず左側の急な斜面を魚を操りながら降りて行く途中に仕掛けが岩場に絡み、仕掛けを外す際、魚も外れ口惜しいリリ-スとなってしまった。しかし贅沢言えばきりがない。ともあれ硫黄島初遠征にて待望の口白石鯛と遭遇出来た事が嬉しく、磯場から携帯で水迫船長に報告する。船長は自分の事の様に喜んでくれた。
硫黄島の数多いポイントの中から今回選んで頂いた沖の離れ瀬は潮通しの良さと魚の濃さを物語るように3ヶ所とも良型石鯛と遭遇させて頂き硫黄島の魅力と今後大型口白との遭遇可能性を強烈に印象つけた釣行となり私自身の南西諸島(近場、薩南諸島)全島口白制覇となる記念釣行のおまけ付きとなった。
これも道中のタヌキとの縁起の良い出会いがあったからかも知れません?

 

ページトップへ