大物が捕食するタイミングは月齢に支配されている!「いつ釣れるか!」に迫る究極の時刻表「大漁時刻表」の紹介。シラガウニの販売も

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屋久島 前篇

2005年12月 執筆

屋久島との出会いは

初めて屋久島に出かけたのは 昭和46年5月 その当時は飛行場造成中でフェリーしか交通便はない時代でした。
石鯛釣りには興味がなく、ただ釣れる魚を浮き釣りで楽しみながら年に1~2回屋久島通いをしていました。私がまだ若く24~25歳の独身時代の話です。それからまもない昭和50年8月。私の勤めていたデパート橘百貨店が倒産してしまい少ない退職金とマイカーを手放した資金で釣具店を開くことにしました。
仕事を始めて困ったのが底物の道具の使い方、説明の仕方でした。地元の底物釣人から石鯛釣りのイロハを教えてもらうのではなくたまたま見た雑誌の宣伝広告で屋久島の石鯛専門店を知りました。そこで出会ったのが頼富忠さんでした。石鯛釣りの仕掛け、釣り方など昼夜勉強していく場を作って頂き年に2~3回は通いました。当初は仕事からみで 釣りの思い出はまったくありません。

 

初めての石鯛

石鯛釣りで屋久島にはまり込んだのは私が32歳の時でした。生まれて初めての石鯛は屋久島の「ミヤカタ」と云う地磯でした。 
釣ったというより釣れたというのが正解です。よっぽど潮周りが良かったのだと思われます。その日は2枚のイシガキ鯛が置き竿を舞い込ましてくれました。技術はなにもありませんただシラガウニの芯3個掛けで釣場の前方10m地点へチョイ投げした時に3Kg弱の良型イシガキが2枚もかかったのだからラッキーです!しかも口白のアタリを何も知らない未熟者の私は同じ釣座に並ぶように2本も竿をセットしたのだからジゲンが分ります。もし大型が巡り合わせで掛かっていたら絶対取れなかった魚です。  
何事も継続ですね!それはともかく釣った本人は嬉しくて嬉しくてその夜の民宿「すぎ」での宴会が盛り上がった事はご想像にお任せします。屋久島釣行から帰ってから行けども行けども、釣果どころかアタリすら無い日が連続で毎回続きました。なんと1年半の間に何回もチャレンジしましたが3枚目を釣る事が出来ませんでした。

 

かつてすごい豪快な釣り人がいた

そこで翌々年の正月明けに 屋久島へ再度出かけました。1日目ボーズ。アタリすらない!しかし夕方民宿に帰ると 岡山の釣り人が4枚。大型口白石鯛を検量中で他の泊り客の数名も良型口白、石垣鯛5、6枚を揚げていた。
その夜は温泉に出かけ悔しくて早く寝床に着いた。期待で一杯の2日目、まったく同じパターンで他の泊り客は大漁なのにまたも私はイシガキフグだけでボーズ!最悪です!
そんな落込んでいる私に頼富さんが「明日、枝本さんといっしょに釣りに行こう」と言ってくれた。なんと石鯛釣りの指導を受け始めて7年目に初めて釣り同行となる。嬉しい!即明日の釣り支度を整え早目に休んだ。最終日はその当時、冬場のみ湯泊港に回って来ていた瀬渡船「勝丸」を利用して平内の大瀬に渡った。平内大瀬は馬の馬蹄に似た大きな瀬である。   
頼富さんと2名で 東側の上げ潮のポイントを攻める事とした。頼富氏は「がま18」の試作品にツルテンパーのリール持ち竿で攻めた。手持ちで攻める姿はなかなかカッコイイものだった。まねをして私も始めて手持ちで攻めてみた。何投目かに早くも頼富氏の穂先にアタリがでる真剣な顔にて穂先を下げるさらに下げる・・・・が 走らない。アタリが出始めて2回目、新しい餌に替え再度投入。結果は同じ。私は釣りを止めすぐ近くに座り込み彼の苦戦している姿をじっくり観察した。
何回目かだった。急に穂先が引っ張られ「カチッ」という音と同時に竿が凄い角度で曲がる。何回かの反撃を交わし2Kgクラスのイシガキ鯛が浮いてきた。まだ続いた。5分程度経過した頃、又穂先をゆっくり押え始め急激に走り出った「カチッ」と大きな音がする、竿が前回より強烈に曲がる!大きい!しばらくやり取り後3K500gはゆうにある口白が顔を出しよった。いとも簡単に魚を捕った!凄い!私は興奮気味だったが彼は冷静だった。
20分経過した頃、又アタリを捉える。 
釣りを止めて彼の動作を座り込み観察していた私に高度なテクニックを見せつけられた。左手は竿に軽く沿え右手はリール(ツルテンパー)の上でフリーにしている。スプールを中指で軽く押え喰い渋る石鯛へフリーで糸を送り、走り出させた後ストッパーを入れる。その音が「カチッ」という大きな音だったのだ。この時この平内大瀬の上げ潮ポイントで見た釣りが私自身の誘い送り釣りの原点となった。それから25年たったある日 そのポイントに独りで立つチャンスがあった。懐かしい場所だった、足元は水深7から8mで沖に向かって6mぐらい棚が出てその先は20m近く急に深くなっていた。彼はその沖に向かった水深7mのハエ棚の上で餌を食わせ、沖の深場までリールをフリーにして5~6m糸を出して走らせる釣りをやっていたのだ!私もこの屋久島釣行から後は手持ち竿で、リールをフリーにしテンションを掛けながらの釣りに変えた。結果、宮崎県南北の各磯場でその年だけでも17枚もの石鯛と逢う事ができた。
25年前のこの時の様子が目をつぶれば鮮明に思い出される。四半世紀前に現在の釣り以上の技術(テクニック)を持った釣り人との出逢いは大きかった。頼富忠氏との出会いがなければ今の私はなかったと思う。出逢いは本当に大事な事でただ楽しく釣るだけでなくその先輩釣師の技術をジックリ勉強させてもらい自分流に工夫する事も大切である。

屋久島 後編に続く

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